2004年5月29日
JRおおみや鉄道ふれあいフェア
JR東日本大宮工場・JR貨物大宮車両所 公開
鉄道ファンや家族向きのイベントとして定着している、工場公開。普段立ち入ることの出来ない工場の内部を見ることが出来たり、レアな保存車両が展示されたり、鉄道ファンとして後学のためにもぜひとも足を運んでみたいイベントである。特に私のように鉄道趣味がかなり運用的なことや機械的なこと、標記的なものといった重箱の隅のような趣味の場合にはこのような公開は非常に役立つのである。
ところで工場公開のページは非常に数多くのサイトがあり、また車両解説などもあるから、いつものごとくこのサイトでは重箱の隅つつきのような、かゆいところに手が届くような一般の目から見るとあまり面白くないというような画像を列挙していこうと思う。 |
ところで今回はなんとしても行っておきたい理由が私には一つあった。それは2004年度より、JR東日本では車両検修などの合理化(外注化)を含めた現業機関の組織改正があり、車両配置区所の名称が「車両センター」、工場機能を有する区所の名称が「総合車両センター」へと変更されることとなったのである。
たとえば、高崎運転所は「高崎車両センター」へ。郡山工場は「郡山総合車両センター」へ。土崎工場は「秋田総合車両センター」へ。長野総合車両所は「長野総合車両センター」へといった具合にである。ところが年度が替わった4月1日には、まだ東京近辺の各支社では変更されず、そのままの名称となっていたのだ。
そう、国鉄時代より続く、伝統ある「工場」の名称が消えようとしているのだ。 それ以前にも各地で工場より一級下の「車両所」や、電車区などの検修部門と統合した「総合車両所」といった組織の統廃合で、工場の名称は少しずつ数を減らしてはいたが、組織規模から全社的なものではなかったので、そう簡単には「工場」の名前が消えることはなかった。しかし、今回の組織改正は、JRのニューフロンティア21計画に基づく検修部門合理化のための根本的な改正のために、今回こそはその名称が消えるのは確実な情勢となっていた。
「大宮工場」の名称を、看板を記録に残しておきたい。そのために行かねばという思いがあったのだ。同様の理由で、最後の客車区組織となってしまった尾久客車区にも出向き、正門の看板を写真に撮っておいた。ついに伝統ある客車区の名称にも別れを告げるときがやってきたのかもしれない。
そして、後に知ることになったが、大宮工場公開の2日後。そう、2004年6月1日をもって、大宮工場は「大宮総合車両センター」へと名称を変更してしまった。大宮工場自体が無くなることはないだろうし、隣接して鉄道博物館が作られることから、鉄道の街として命脈を保つが、栄えある「工場」の名称はついに幕を閉じることになってしまったのである。
余談であるが、総合車両センターになった場合の全検標記がどうなるか気になっていた。総合車両所は「頭文字1文字」+「総車所」と略記していることから、たとえば旧土崎工場の秋田総合車両センターの場合には「秋総車セ」と表記するかと推測していたが、実際は「秋田総合車セ」と非常に長ったらしく書いてあった。このあたりは組織的に落ち着けば変更されるかもしれない。
EF81133の全検標記
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子供たちには大人気である。あの碓氷峠専用の機関車、EF63もここにいた。その隣にはEF60、EF58(青大将色、つばめヘッドマーク付き)、EF15と並ぶ。運転室も公開されていたために大盛況である。憂うこととしては、小さな子供たちが、乱暴に機械をあつかったことにより破損していないかそれが心配だ。 |
2エンド側がカットされているために検査表記もばっちりしかし、大宮工場には隣接して、JR貨物大宮車両所もあるのだが、
あくまで敷地を間借りしているようであり、メインはJR東日本である。
そのメインのJR東日本にしてみれば機関車はおまけに過ぎないのだが。
さらに機関車の検修も行っていない。
夢空間車両が展示されていた。車内も見学できるとあって、長蛇の列だった。夢空間は、超豪華寝台列車を想定してバブル崩壊前の平成元年に3両が試作された。
そして、この電源車としてお供しているマニ24は、マニ50より改造された異端児だ。北斗星誕生のころの増発などによって、電源車が不足したため、JR東日本、北海道で各1両ずつ改造された。マニ50の車体断面のために、とてもスマートに見える。また、24系と連結されると車体幅が異なるので、とってつけたように感じる。
マニ24は平成15年12月。夢空間車両は平成14年1月にそれぞれ全検を受けている。
マニ24は一度写真に撮りたかった。 |
15.12.10の表記が見える。15年12月に全検を受けているようだ。当分安泰? サイドビューを撮る。手前に並ぶのは台車の山 大宮工場 平成元年改造の銘板が見える
A寝台、デラックススリーパー サイドは人がいっぱいいたために撮れませんでした…寝台数6!!日本車輌平成元年。カシオペアが新製されなければ、
これらの車輌が最後の客車新製になったのだろう。
ラウンジカー 記号番号の表記も独創的。これが夢空間車両でなければ許されない?
ただ、見るからにシールタイプで見ようによっては安っぽくなるから難しい。富士重工も今はなくなったし・・・
食堂車 こちらも独特の字体。ただ、何か安っぽさにもなるから気を付けないといけない食堂車は展望タイプ。最後尾となる次のページへ進む