春の特別企画 |
〔page 2〕武並橋から県道を迂回して再び国道418号線湯谷橋へ 〔page 3〕湯谷橋より二股隧道へ 〔page 4〕… 〔page 5〕… |
国道418号線が新丸山ダムに関連して水没した際の付け替え国道は、生活道路として機能している県道412号線、県道353号線のルートをたどる。はっきし言って、水没のための付け替えというよりかは生活道路の改良、高規格化というところにもなるだろうか。 が、路線バス(スクールバスのような感じ・・・)も通る現在の353号線というのが、ご覧の通りのような有様だから。 |
■2001年9月撮影の県道353号線の画像 |
朝の恵那行きバスがやってきた こんなヘアピンカーブも どこで離合するのか大いに悩むところ。もちろん上のバスはここを通る |
おそらくこれが最後の塗り直しとなるのかも知れない。 |
■2001年5月当時の写真 |
およそ2年前の湯谷橋 撮影位置が分岐点の反対側からとなっている |
■2001年9月当時の写真 |
赤い橋なのだが、黒く汚れて、かなりみすぼらしい姿となっていた |
■2002年3月当時の写真 |
そして、それから半年後・・・。 訪れてみるとなんと、塗り替え工事中だった。 美しい姿に生まれ変わっている湯谷橋 ちなみにこの撮影した日は3月18日。あと2日後期が残っているが、 この状況から足場の撤去で終了だろうか。 |
たぶんシゲさんが何の前置きもなく、地図を頼りにやってきていきなりこの標識を見たときのショック。それは何にも変えようがないだろう。 |
■2000年5月当時の写真 |
うちに現存する最も古い記録の物。といっても、およそ3年前。 標識も全体的に綺麗で設置されてからそんなに日が経っていないのだろう。 |
■2001年5月当時の写真 |
上の画像からちょうど1年後に訪れたときの物。 下の方に若干水あか汚れのような物が見受けられるがまだ綺麗。 |
■2001年9月当時の写真 |
上の半年後。中央付近から下にかけてだいぶ汚れが目立ってきた。 |
■2002年3月当時の写真 |
そのまた半年後。汚れが増え全体的に 汚れて来ているのが分かる。 |
■2003年4月(今回)の写真 |
あからさまに全体的に汚れてしまっている。 やはり木の下にあるためだろうか。 |
今回はなんのぷれっしゃ〜も無し。とはいえ、慣れた道ほど危険は増します。こと国道418号線に関して嘗めてしまったらそれで最後。気を引き締め直していざ進入することにした。 |
■2000年2月当時の写真 |
一番最初に訪れたときの物。まだ写真の撮り方がいまいち (今も当時と大差ないが)でアップ画像は撮ってなかった。 |
■2001年5月当時の写真 |
上のおよそ1年後。おりょりょ、プレハブ小屋が建っている・・・? というのは、県道353号線が湯谷橋のそばで 崩落防止の工事をしているためでした。 ここから、通行止めにして工事をしていました。 ということで、丸山ダムから来ると、町道まで 抜ける道が無いという状況でした。 |
■2001年9月当時の写真 |
まだプレハブ小屋は建っていますが・・・、 工事はあらかた終了していました。崩落防止されたコンクリートが新しい。 |
■2002年3月当時の写真 |
そして、プレハブ小屋もなくなり、いつも通りの落ち着いた分岐点。 ただ、このときは湯谷橋塗り替え中ではあったが・・・。 |
なんかが違う・・・。8回目(ここに来るのは7回目)の私は違和感に気づいた。看板が新しくないか? |
■2000年5月当時の写真 |
まだ汚れも少なく、きれいだ。 国道は否定された標識と同時期の制作かも。 支柱が白いパイプなのに注目。 |
■2001年9月当時の写真 |
こちらも木の下の所為かだいぶ汚れが目立ってきてはいた・・・ ところで前ページで笠置ダム側の通行止め予告看板が、 2000年12月時点で「建設事務所」と名称を変更 したためにシールで訂正してあったが、こちらは 2001年9月時点でも「土木事務所」のままであった。 |
■「418」と言う数字のフォントが若干違う ■岐阜県加茂土木事務所→岐阜県加茂建設事務所 ■事務所の名称の文字と電話番号のフォントが若干異なる ■「通行止」の文字の、文字間の幅が若干広がった のだが、他はほとんど一緒。 …こんなこと書いているからシゲさんにマニアだと言われてしまうんだろうなぁ・・・。 |