★特別企画★(あの幻がもう一度見たい・・・自転車に乗っていこう!・・・時には引き返すのもダ・イ・ジ)

国道121号線 大峠凾嶺越
《喜多方側旧道 その5》

大峠略図5




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(47)


(48)


(49)地点で振り返る


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(49)地点より峠方面


(50)

一時的に急勾配が続く(49)(50)地点。ここはもともと馬車の通行を考慮して改良された道路であるため勾配は急にならないように配慮されている。そのためにうんざりするようなヘアピンを繰り返すわけでもある。またこの道路は戦後昭和29年頃にバス路線が通っていた。今となってはにわかに信じがたいが...
「峠の道路史」と言う本にボンネットバスが連なって大峠の九十九折りを進む写真が載っている。


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(51)


(52)


(52)これから行く道路を見る


(53)


(54)


(55)


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(56)

待避所となっているところにはげた標識が立つ。標高を上がってくると道路の両側には笹が茂る。


(57)


(58)根小屋へと向かう山道が分岐する


(59)


(60)地点より谷向こうを行く送電線


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(60)地点より遠望

画像中央付近に小屋らしきものも見える。


(61)1番目の修復地点


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(61)ここはガードロープが付く


(61)3枚の画像を比べると不自然無く修復されているようすが分かる。この区間はかつてはほぼ直線であったことが伺える。


(61)2番目の修復地点

2番目の修復地点はこともあろうに何も無い。峠側には砂を詰めた袋は置かれているが。


(61)

(61)地点は道が落ちてしまい山側を削りそこに道を通した箇所である。連続して2箇所ある。ここは始めてきたときには路肩が落ちそうになっていてコーンやロープで囲ってあった。見ても分かるとおりここまで大規模に修復している。黒い部分は新たに崩落防止用に作られた法面であり、また舗装部分を見ても分かる通り、山側を削って道を造ったことが伺える。
ここをこれだけ修復することからもこの峠道は生きているのだ。

ちなみにここが落ちそうになっているときの画像が「峠と旅」のホームページにあるのでよければ見てみるといい。また工事中の時の画像は「みちくさ倶楽部」と言うホームページにある。


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(62)

この道は走ってきて1〜1.5車線程度の幅員がありそれなりに走りやすい。離合に困る場所はあまり多くはない。ただ現在は通行量が少ないために草に浸食された影響があるが。


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(62)

この地点では路肩が落ちていた。宙に浮くガードロープ。よっぽど路肩よりを走らない限り影響はないが、落ち葉が溜まり分かり難い。


(62)今来た道が下の方に見える。
見えているのは(61)地点付近手前


(63)国道標識が立つ
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この国道標識は福島側通行止め区間で唯一のものであると思われる。


(63)傾いた国道標識


(63)地点より振り返る

この地点ではこれから行く道路が後ろに見える。この画像でもガードロープが横にのびているのが見える。画像手前側からぐるりと円弧を描いて上の部分に行く。


(64)


(65)


(66)地点より振り返る


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(67)


(67)地点付近より見える風景


(68)を下部((67)付近)より見る


(68)最近修繕されたようだ。

ここには沢が流れているのが画像よりおわかり頂けると思うが、その沢に沿い道路が崩落している。この付近は九十九折りで道路が段々畑状になっているが、下から見るとずっと修繕されている様子がうかがえる。


(68)


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(69)

(69)地点に来ると道の雰囲気がまたがらりと変わる。特に進行右手には笹が群生している中から幼木がずらりと並ぶ。ここは植林しているところのようだ。


(69)進行右手を眺める


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2001/01/02 作成