国道421号線 石榑峠
《三重県大安町〜滋賀県永源寺町》
これが石榑峠だ!! |
お約束の写真を撮る (三重県側より撮る) |
物足りないという方のために滋賀県側からも撮る (滋賀県側より撮る) ど〜せ車なんて通らないだろうと思っているといきなし カローラバンとかが現れてくるから要注意。 何しろここは都市と都市を結ぶ酷道なのだから。 |
超図解!? 石榑峠? |
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三重県側より上ってくるとまさしく峠の入口とも言える箇所にコンクリートブロックが鎮座しているのである。石榑峠自体はそんなに広いわけでもない。この通り、幅員が多少広がっている程度である。考え方を変えると、コンクリートブロックに遮られ泣く泣く引き返す転回所程度のスペースというわけである。ここには登山道が通っており、休日には登山を楽しむ人の駐車スペースとなってしまう。右に見えるのはNTT電波塔への道。さきほどの続きだ。一つ向こうの山の頂上にあるようであり、まだまだ上っていくのだ。道の状態はずっと先ほどのままのようである。 もうこの箇所を過ぎればあとは三重県側はなだらかな勾配で下っていくのである。峠からは遮るものは無いので、もしかしたら展望が開けるかも知れないが、なにしろこの天気では分からない...。 |
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県境はコンクリートブロックの位置ではないようだ(県境標識の位置より)。つまり峠のサミットではないようである。この国道のサミットはコンクリートブロック付近にあるのだ。そこを過ぎれば、下り勾配に転じている。右手に見えるの砂地の所を少し上ると、「永源寺ダム石榑雨量局」の観測施設がある。観測施設と言っても、大げさなものではなく、よくある小さな無人測候所だ。アンテナが立っていて電波で送信しているようだ。 |
電波塔への道を見る |
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画面左手に例のコンクリートブロックが写っている。なるほど、どう見ても道なりはNTT電波塔へ続いている作りだ。これこそがまさしくこの峠、いや石榑最狂区間の由来するところでもあるように思う。 |
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広くなっているところの幅員とはご覧のような幅員、もし他に車が止まってなければ、オフ会としてやって来て、お昼を食べていても十分な幅員である。 |
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ちょうど、この上ぐらいの所に永源寺ダムの石榑雨量局がある |
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三重県側と比べてとりわけて険しい山岳道路という様相は無い。また、幅員も1.5車線ぐらいでずっと続くのだ。 |
コンクリートブロックを見る |
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上にフックが付いている。クレーン車でつり上げられるようになっているのだろうか。斜めに配置されたガードレールがまた重要なポイント。もし無いとしたらこの上なく通りづらいことであろう。 |
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とりあえず、お約束のメジャーで測る。といっても、参考程度に扱って下さい。焦っていたし、完全に直角出して計ったわけではありませんので。 2.09mぐらいかな? とりあえず、標識通り、2.0mまでならなんとか通れるわけだ。R34さんが計ったところ三重県側と滋賀県側で若干幅が違うようです。 |
規制標識を見る |
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三重県の県境標識の手前に立っている。幅員減少の標識。三重県のシールが付いている。 |
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ちょうど幅員が広がっているところに立っている標識である。これは規制のための標識だ。麓に立っているのと同一である。 |
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滋賀県側の通行規制標識。こちらは異常気象時の通行規制の標識だ。 |
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道路情報板。よくある、おなじみのサボ式のもの。特に何も出てないがひっくり返っているだけである。ボロボロになってしばらく表示してないのだろう。麓には電光式の立派なものがあるし、ここにきていまさら表示する必要もないのかも知れない。 となりには大型車通り抜けできませんという看板と古びた2.0m幅規制の標識が立つ。しかし、落書きの被害に遭ってしまいもう、その存在はさらに朽ちたものとなった。 |
その他を見る |
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電波塔への道はさらに上り続ける。立派な石垣である。滋賀県側の道路と言えば、峠付近は幅員は1.3車線程度。こちらの道路もいやみなことに山側に側溝がが設けられており、非常に走りにくい。中途半端に幅員がある分余計に嫌だ。 |
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いわゆるコンクリートブロックから三重県側を見ている。あきらかに国道が電波塔への道に割り込んでいる作りだ。 |
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最狂区間の実態。つまりそれは、あの最狂区間がもともと電波塔への道として作られたことにあるのではないかということである。 |
その後、滋賀県側より、道路が石榑峠まで延びてきた。滋賀と三重を結ぶ道路であるが、新たに作るのも勿体ないのか、せっかくだから、そのまま電波塔への道に取り付け、そこを代行道路のような形で供用。 電波塔への私道なものだから、道路規格が極端に低く、国道として供用するにはあまりに酷い道であるから両端にコンクリートブロックをおいて、通る車の車幅を制限した・・・・。 |
そして・・・。そう、それは、例のコンクリートブロックの間隔を計ろうとデジカメとメジャーを片手に石榑峠をうろついていたときのこと。 |
『この道通れますか?』 いつものことである。 「この先、多少道幅が狭いけど大丈夫ですよ」 と、慣れっこで私は答える。 |
助手席側の窓も開けて、「こっち大丈夫だよ」とかやりとりしながら。 2001年9月3日。17時頃。まさに不審者以外の何者でもない私は路肩にボーッと佇んでいたがとてもいたたまれない。何か私というものを象徴するかのような出来事である。 いいのだ。私には一人が似合っているのだ。 |