国道421号線 石榑峠
《三重県大安町〜滋賀県永源寺町》
いよいよ酷道となってきたような気配でもあるが、まだまだ普通の道路だ。確かに国道では無いという雰囲気が大きく漂うのは確かであるが、酷道ではない。 |
うねうねくねくねと進む421号路肩には、421のおにぎり入りのキロポストがたっている。この地点は25km。
30秒ほど走ると古い橋がある。
橋の名称は失念(^_^;) 昭和28年10月竣功一応、車道としてもそれなりの歴史のある道路のようだ。
30秒ぐらい走ると一瞬だけ2車線路になった。
しかし、この先のカーブを曲がればまたご覧の通り。
名称失念…(*_*)竣功は昭和29年3月
この橋を過ぎるといよいよ本格的な上りにかかる。幅員は画像のような幅員でコンクリートブロックの地点まで続く。ヘアピンカーブも何カ所かあるが、少なくともコンクリートブロックまでは急カーブ、急勾配の峠道という感じではない。 |
そこそこの幅員。いわゆる轍が3本出来るような幅員が続く
(右)ヘアピンカーブの地点である
山への上りにさしかかった頃より、法面の落石防止ネットの土台のコンクリート部分に絵が描かれている。その絵というのは、動物たちだったり、木や草花が描かれているものである。
誰がどのような意図で描いたものか分からないが、かなりの長い区間に渡ってである。今となっては汚れや色あせてしまってしまっているが・・・。 |
また、センターラインが復活しかし、道路の両側より草木が浸食している様子が手に取るように分かる。
壁画(?)はかなり汚れてしまっている国道標識実はNTTの回線が1回線だけ道路に併走している電力配電線も1回線が通じている。おそらく、頂上にあるという電波塔の関連であろうか。
電電公社の頃の銘板・・・、記号番号が消えてしまっているNTTになっていないということは、この回線は死んでいるのか?
もったいぶった書き方をしたが、実は死んでいるようである。
なぜかというと、途中で電話線が切れてぶら下がっていたからである。
つまり、現在では使用されていないようだ。
ただ、切れたりしながらも、電柱は道路沿いに立ち、
電波塔まで通じているようだった。
電波塔付近ではまだ、電線がつながっていた。
電柱だけあって、電線が無いところもあった。
ご覧のように1回線だけのようである国道標識と記念撮影標高が上がってきたのだろうか・・・植生が低木中心となっているようだ。
あるいは風のため?
ここでは、電話線がつながっているのがわかる。
すぐカーブの先の画像だここでは、電柱だけあって電話線が無くなっている。
進行左手にはずっと落石防護柵が続いている山岳道路だ。
幅員について離合には困難さは伴わない。
昭和49年12月竣功の橋宇賀川にかかる橋のようである。
それなりに広い大型車が来なければ必要十分であろうか。
沿道に見渡せる風景山の奥に来たのだなぁと思う
なかなか気分がよい。
あいにくの天候で山頂付近はガスがかかっている。
ここの電柱にはうっすらと字が浮かんでいた昭和40年1月ということだろうか。
かなり古くからあるのかもしれない。
ついでに電話線のみならず、配電線も来ているしかし、途中でルートを折れて、直接電波塔へ向かってしまう。
29キロポスト付近昭和63年12月ということか昭和63年に敷設したのか、あるいは、更新したのだろうか?
電話線が無くなった電柱下に垂れ下がるがいし哀れである。
29.4キロポスト付近ここに石碑が建っている。
何の石碑かはわからない。
思えば、雨が降っていたために車を降りて
石碑の後ろを確認したりなどしなかった。
もしかしたら、なにか書いてあったかも知れない。
石碑のアップ両側から山が迫ってきたら、
幾多の伝説となっている”あれ”が登場する。石碑から300mぐらい走ったところにあるのだふっふっふっここから、右に下る山道を行けば宇賀渓まで沢伝いに降りられるようだ。
国道の方はといえば大きく南に迂回し、宇賀川沿いに降りていくコースのようだ。
道しるべ幾多の伝説を作った”あれ”とは、次回のお楽しみに。
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