もうすぐ峠は改良される 奈良r37 細峠


2003年5月 調査走行
2003年5月 一部補足走行

奈良県道37号線は、桜井市を起点に R165(R166重複)から分岐し、寺川という川に沿って谷を進み、細峠を越えて下ったところで二股に分岐し、r28 または r15 と合流する。いずれもすぐに R169 へ合流し、1km 弱で吉野川を桜橋で渡り吉野山に至る路線である。レポートは吉野町側から峠を上ることにする。

写真1 写真は R169 から r28 を大宇陀方向に進んだところ。R169 との分岐は地図を見ると、吉野川に流れ込む1つの谷に3つくらい県道を示す道路があってややこしいが、「大宇陀」の標識に従って曲がればよい。

1.5 km ほど r28 を進むと大きな案内表紙の後にこんなミニサイズの案内標識が立っている。もちろん r37 は左である。

写真2 これがその交差点。ヘキサと矢印の補助標識が立っている。正面の黄色い建物のすぐ左側にも「大宇陀」と書いた標識があり、一瞬戸惑うが、どうやら r28 の旧道らしい。

写真3 ほどなく、二股に分岐している r37 と合流。標識には正面にしかヘキサが書かれていないが、手前(今走っている所)も左方向も r37 である。右に行くとまた r28 に合流する。

写真4 交差点を桜井方向から吉野方向へ向いてみる。案内標識と、その先のヘキサについている補助標識で r37 を指している方向が違う。地図を見てみるまでどういう意味か分からなかった。

写真5 工事現場が見えてきた。ここまではよく整備された2車線道路で、勾配もそれなりである。

写真6 もうトンネルは貫通していて、整備などを行っているようだ。現道は右へそれていく。奥に見えているガードレールがそれである。現道へ降りるところはとってつけたような道で、もう険道区間が始まったのかと思える。

写真7 これが現道から撮影した建設中の新トンネル吉野方坑口。当日は照明も点灯して作業中の様子だった。坑口の上にあるガードフェンス(?)はこれから走る現道で、やはり険道の臭いが濃厚である。

写真8 そのトンネルの上を抜けると狭い切り通しになる。この時点で結構な勾配である。前を行くのはいわゆる原付2種のバイクだが、結構アクセルを開けないと登らない。

写真9 昼間なお薄暗い木立の中を完全1.0車線の狭い道で抜ける。文字どおり「細峠」だ。

写真25 狭い木立を抜けたところ。付近には農業用・防災用ヘリポートがある。写真は上ってきた谷を見下ろしている。もう少し手前に戻ったところからはトンネルの工事現場が見えたが、道が狭いのでバイクを止められなかった。この先から出るのである。アレが。

写真24 そう。激坂にはつきもののコンクリート舗装である。右は地図にも出ている宮奥ダムへの道らしいが、地図によれば途中から車両通行不能になるようだ(ハイキングコースのようなので、徒歩なら踏破可能だろう)。

写真10 上りではクリアに専念するため写真が撮れず、帰りに待避所にバイクを突っ込んで撮影。坂の途中で自力で立っているのが辛い激坂だった。

写真23 激坂頂上近くには見通しの悪いヘアピンもある。

写真12 激坂が終わるとほどなくトンネルに差し掛かる。

写真13 小さいながら扁額があり「鹿路トンネル」とある。右側の擁壁はコケむしている。トンネルはほとんど直線だが、中央寄りが一番高くなっているため反対側が見とおしにくい。ちなみに中はかなり寒かった。

写真14 見えにくいが、桜井側の坑口付近。トンネルを出てすぐにカーブになっている。右へ上がっている道は竜在峠へ出る道だろうか。舗装はされているようだが…。

写真16 桜井側はすでに現道トンネル手前まで2車線化されていて快適である。この先一部に未改良区間が残るものの桜井までは普通の地方県道である(主要地方道というには貧弱だけど)。

私はここで引き返して、r15 に向かうことにした。帰り道、吉野側坑口の先で別の脇道を発見。

写真15

ひょっとして、現道トンネルの前の旧道かと思ったが、地図をよくよく見てみるとそんな単純ではないようだ。行きどま林道ならゲートがあるはずだが…。

そもそもこの付近には、この細峠の西に竜在峠、さらに西に芋峠(これから通る予定)、東に大峠(r37 桜井側から分岐して宮奥ダムへ出る)がある。飛鳥・吉野・大宇陀と朝廷に縁の深い土地が多いだけに多くの峠道が存在したようだ。ただし、確実に車・バイクが行き来できるのはこの細峠と芋峠だけである。この道にしても、宮奥ダムまでの区間が走行可能かどうかは不明だ(歩行者なら通れると思うが)。

話を新トンネルに戻そう。新トンネルは相当標高を下げたところに建設される。工事現場の看板では工事期間が平成16年3月某日までになっていたので、今年度中に供用開始されるのは間違いなさそう。現道については、吉野側はヘリポートのあるところまでは車が必ず入るだろう。トンネルが使用されるかどうかは微妙なところ。ただ、トンネルは別としてハイキング向け道路として最低限の整備はされるのではなかろうか。



後日、桜井側も走る機会があったので少しだけ補足しておく。談山神社への県道が分岐する多武峰までは、一部1.5車線区間が残るもののよく整備されている。

写真17
吉野方を向いた写真。右は r155 談山神社方面。左は大峠を越えて宮奥ダムへ至る農道を建設中で、立派なトンネルのコンクリートポータルが姿を表していた。

写真18
さっそく未改良の狭路になった。この集落を通過する区間は BP を建設中である。

写真19
このように、集落内は路側帯すらない狭い道である。BP は川の西岸の山を削って建設されるようだ。

写真20 BP と合流し、2車線区間になるとすぐにトンネルの桜井側坑口が見えた。もちろん取材日時点では通行することはできない。現道はトンネル右側になる。

写真21 トンネル分岐のすぐ先に、木箱をつけてもらった時計があった。後ろはカーブミラーで、一応ミラーの支障にはならないように取り付けられている。

写真22 ここにも川を渡る縄があった。r15 の稲渕・栢森を思い出した。由来が同じかどうかは知らない。

1km 少々で現道トンネル桜井方坑口へ到着する。



さらに追加

奈良新聞 Web ページによれば、2003年9月に新鹿路トンネルが供用開始になったようです。

記事は http://www.nara-shimbun.com/n_soc/soc7420.html から。


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