明治以降,「国道」というものが初めて規定されたのは明治9(1876)年のことでしたが,この段階では現在のような「〜号」という連番式ではなく「一等」,「二等」,「三等」という三段階の「等級」に分けたものでありました.この等級というものは,総て東京を起点としたもので,次のような区分で分けられました.
一等 東京より各開港場に達するもの
二等 東京より伊勢宗廟(伊勢神宮)及び各府各鎮台に達するもの
三等 東京より各県庁に達するもの及び各府各鎮台を拘連(連絡)するもの
なお,「府」というものは当時は東京,京都,大阪の3府のことを指します.また,「鎮台」は陸軍の軍団のことで,東京,仙台,名古屋,大阪,広島,そして熊本の6鎮台がありました.
明治18(1885)年に「等級」が廃止されて,国道が連番形式として1号から44号の44路線が制定を受けました.いわゆる「明治国道」と呼ばれるものは,この明治18年以降に指定された国道を指します.これらは「国道表」で公示されることになりました.
明治18年制定時の明治国道は基本的に等級時代の名残を残し,明治国道の1号〜8号は旧国道一等,9号〜11号は旧国道二等,12号〜44号は旧国道三等となっています.
大正8年に道路法が制定されて新たに国道が再編されるまでに,「明治国道」は改正・追加されて最終的に61路線となりました.
「国道表」の見方(凡例)は2つあります.
1 国道の路線の中で,前号の路線と重複する路線は,それを省略してその番号を記載する.
(例えば国道ニ号の「東京より大阪港に達する路線」中で「神奈川」までは国道一号の「東京より横浜港に達する路線」と同一路線)
2 国道路線である地点(甲)より別の地点(乙)の中間に位置する府県庁及び鎮台等は,それを包括している路線に含まれることにする.敢えて,特別に路線番号として指定することはしない.
(例えば国道ニ号の「東京より大阪港に達する路線」中の「静岡」というものは静岡県庁でもあり、「大阪」は大阪府庁および大阪鎮台であることを示す)
これらのルールを前提としながら経由する場所を辿り,明治国道をまとめてみます. |