送 電 線 画 像 集
東京電力 一の宮線


更新 電圧
(推測含)
木柱 コン柱 鉄柱 鉄塔 鋼管 LP碍子
(確認できた分のみ)
2004/11/02 22kV


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LP碍子支持の鉄柱 一の宮線 110号鉄柱

なお、これらは確認できた範囲での推測の場合もあるのでご了承下さい
東京電力 車返変電所?
京王電鉄㈱ 新高幡変電所
所在 東京都府中市~東京都日野市
撮影鉄塔  〃
コメント 京王線に沿って進む送電線路。鉄道架線柱併架形であるが、22kV対応の
鉄柱が続き京王線開業時の姿を残すもののとして貴重である。なお、地
下化とCVTケーブル化が行われている一方、鉄柱、鉄塔、LP碍子支持など、
支持物が多岐に渡り興味深い。
建設年 大正14年3月(京王電鉄線の府中~京王八王子(東八王子)間の玉南電鉄開業と同時)


鉄道会社と電気は切っても切れないものである。特にそれが都市郊外型電車の場合は顕著である。なにしろ、鉄道車両の動力が電気によるのだから、安定した電力を確保できなければ鉄道会社の経営にも重大な影響を及ぼす。

そうした鉄道動力用の電力のうち余った余剰電力を鉄道沿線に供給する配電事業を行っていた鉄道会社というのも数多い。また、親会社が電力会社なんていう例もあった。

やはり今の京王電鉄も戦前は鉄道沿線に配電事業を行っていた電力会社でもあったのである。調布や府中などは京王電気軌道から電気の供給を受けていた地域なのだ。また、鉄道動力や、配電電力用の送電線路が京王線に沿う形で形成されていた。

なお、配電事業は戦時中に配電統制令がしかれ、全て関東配電(現在の東京電力の前身)に譲渡されている。

それらの名残である、京王線に沿う東京電力の送電線路が残っている。調布以東では平成に入った頃から順次撤去されたようであるが、地中化やCVTケーブル化も行われているものの、現在でも西調布~高幡不動までの区間で鉄道線に沿った現役の送電線路を見ることが出来る。

ところで、早いうちに撤去されてしまった調布以東の送電線路であるが、現在でも当時の面影を伺い知ることが出来る。それは、架線柱である。先頭車に乗って架線柱を見ているとある法則を見ることが出来るのだ。それは、コンクリート柱と鉄柱が交互に現れてくるのである。これこそ、当時の送電線路の名残だ。すなわち鉄柱の架線柱は、当時の送電線併架柱だったわけである。そのうち、送電線部分の上部を撤去して今も使われているようだ。

調布駅やつつじヶ丘駅などでは、駅の上部をまたぐ巨大な門形鉄塔を支えていたためにやたらに幅のある架線柱が印象的である。

古い写真を見ると明大前付近では門形鉄塔となっていたようだ。

現在も現役で残っている一の宮線も、駅の部分では門形鉄塔が採用されている。そのほかの区間では、鉄柱の架線柱部分の上部をのばして送電線を支持しているタイプになっているが、架線柱と送電線の鉄柱を分離した箇所もある。

なお、府中駅、中河原駅、聖蹟桜ヶ丘駅付近では地中化されている。また分倍河原駅先の中央高速をくぐる部分から中河原駅手前まではCVTケーブル化されていて一見、送電線が併架されているとはわかりにくなっている。



この送電線路の始まりは武蔵野台駅を過ぎた先、西武多摩川線を越えるところからである。運転席後ろから見ていると、巨大な門形鉄塔が正面に現れる。なお、この一の宮線の札を見ると、建設年が複数存在する。

大正14年3月のものは玉南電鉄開業時と考えて良いだろう。聖蹟桜ヶ丘駅~新高幡変電所区間ではそれとなっている。ただし、多磨霊園駅付近、分倍河原駅付近、多摩川橋梁では昭和16年という札も散見される。昭和16年と言えば、戦時中である。もしかしたら戦争の関係で系統変更など行われたのかもしれない。

なお、中河原駅や聖蹟桜ヶ丘駅、そのほか多摩川橋梁は開業後に高架化工事や複線化工事も行われたために、その前後で鉄塔の建て替え等が行われた可能性は高い。

ところで、過去の写真を見ると、線路の両側に2回線鉄柱が建っていた。これは、一の宮線が4回線路だったのか、あるいは別の路線で2回線が2路線であったのだろうか?

自転車でよく多摩川のサイクリングロードを走っていたので、多摩川鉄橋の計4回線送電線は印象に強く残っている。それが、いつの間にやら撤去されてしまい、現在の一の宮線2回線が線路に沿って走る形となった。


京王線に沿った送電線路であるために、一部電車の先頭車からも撮影した。
特記なしは京王八王子方電車の先頭から撮影。新宿方電車の先頭から撮影した場合は注釈を付けた。

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武蔵野台駅を発車してすぐ巨大門形鉄塔のお出迎え


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多磨霊園駅付近での一の宮線 長幹碍子のようである【新宿行き電車から撮影】


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東府中駅の新宿方にある一の宮線の13号鉄塔【新宿行き電車から撮影】

一見なんでもない鉄塔である。…が、一番上の腕金をよく見て欲しい。
なぜか右側の腕金だけ飛び出している。なぜだろう。

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東府中駅八王子方にある門形鉄塔

この先、府中駅付近はしばらく地中化されている。

そして、府中駅を発車してだいぶ下ってきたところで、再び架空線に戻る。

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一の宮線が地中から顔を出す立ち上がり鉄塔

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府中~分倍河原間は門形鉄塔となっている【新宿行き電車から撮影】

かつては4回線分の線があった名残が見える。現在は片側のみの使用。

見るとわかるとおり、鉄道架線柱に併架と言う形である。

門形鉄塔は分倍河原駅のところで終わり、再度2回線鉄柱になる。

分倍河原~中河原間では、中央高速をまたぐ部分で鉄塔となっていて、
その先はなんとCVTケーブル区間となる。

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この先に見えるのが中央高速道 そこをまたぐ部分が2基の鉄塔になっているのがわかる

なお、このまたぐ部分には架空地線が付いている。




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