2002年1月 (東北)


米沢駅
これでも道路や屋根などを見るとそれほど大雪に見えない。
派手に見えるのは、雪かきした後の雪捨て場になっているからということのようだ。
米沢駅前にて。

■1日目 曇り

前回あまりの効率の悪さと判断の悪さにこりたので、今回はちょっとだけ計画的に。木曜の昼休みに職場近くの近畿日本ツーリストで「きたぐに」の寝台を尋ねると、喫煙車で上段でよければということなので予約をしてある。寝台車なので、喫煙といっても室内ではタバコは吸えないことになっている。乗車券も新潟まで。キップを買う時の考えでは、翌朝8:30に新潟に着いてから越後線・弥彦線を片付けて、弥彦からの高速バスはないので燕に出るとうまい具合に高速バスに駆け込めそうだという計画だったが、そこから山形方面に向かうと時間的に大変なので、新潟からはそのまま白新線・羽越線・米坂線経由の米沢行快速べにばなにする。

ともかく、家を出て近くの駅へ。今回も普通電車が駅に着く3分前に発車していった。西大寺からはすぐに接続の難波行快速急行へ。難波で食事をすませて地下鉄で移動する。

大阪駅は期待していたベストの出口へ出れた。乗車券の変更をしたいのだがもう窓口が空いていない。コンビニで飲み物だけ仕入れてホームへ上がるともう「きたぐに」の583系は据え付けられていた。しかしまあ上段寝台は本気で上りにくい。落ちそうになって心配なくらいだ。やっとのことでカバンを寝台のベッドに放り上げた。これは降りる時のほうがさらに危ない。

早々に改札が行われたので、楽な格好になる。0時を過ぎても放送があるのには困ったが、大津発車の放送が最後となって眠る。外が見えない分熟睡できる気がする(これは寝台小窓の存在に気付いていない)。何度かカーテンが開けられ(そう)になったが、どうやら中段の人のカーテンに引き摺られてしまうようだ。

■2日目 雨のち曇り

早朝の直江津到着の放送でも目が覚めたが、起きたのは加茂を出てから。カーテンを開けてみるとかなりの人が起き出していて、下段の人はもう降りたようだ。トイレに行って用を足ししばらく横になってぼんやりしていると新津を発車。快速に格下げとなり亀田にも止ったのでそろそろ荷物を下段へと移動。新潟では急がなければならない。

到着放送が鳴る直前に荷物と服装を整理してデッキへ。改札口へ急ぐがやはり「べにばな」へ乗るのであればキップを買いなおしてなおかつバスターミナルで Web のネタを撮影している時間はない。改札を出ずに無理やり写真だけ撮って「べにばな」に乗り込む。

先頭がキハ52、後部がキハ47の2両編成で、夏ならば迷わず冷房付きキハ47だが冬でもあるし前に乗る。しかしもう席はほぼ一杯だ。先頭車のデッキ付近に立つことにする。運良く次の快速停車駅で先頭座席に座ることができた。新発田で乗客の3割ほどが入れ替わって発車。ほどなく分岐駅の坂町へ到着した。ここで若い運転手と指導運転手が下車して、米坂線運転手と保線区員2名が乗車してきた。外は雪ではなく雷雨で叩きつけるように降っているので、窓枠から雨水が染み込んで来る状態である。恐らく車体で雨粒が巻いて、下から吹き上げているのではなかろうか。手の子の峠を越えると雨はいくぶんマシになり、米沢到着。

すぐに普通山形行が出て山形まで先着となるが、私のキップはここまでで、駅を出て買い換える。米沢−新庄−秋田−大曲−横手−北上−東京のルート。本来なら、大阪市内−湖西線(米原回り特認)−北陸本線−新津−新潟−白新線−坂町−米沢(ここから上のルート)−東海道新幹線−名古屋くらいまでのキップにできたかも知れないが、まあいいだろう。

駅前を歩いていると、米沢市営の白ナンバーバスが結構頻発している。過疎地対策の特認がここまで認められているのであろうか。駅前のそば屋でざるそばにする。つゆはもう一つだが、そばそのものはまずまずの味だ。さらに駅前の弁当屋さんで牛肉の弁当を仕入れて駅に戻る。米沢は米沢牛が名産である。あとで新幹線の車内で食べてみたところ、冷めているのが残念ではあるが、値段分のボリュームはあったと思う。

「つばさ」は覚悟の上で自由席を選んだが、次の赤湯から座れてもくろみ通りだ。山形では結構乗車客が居るがそれほどの混雑にならなかった。ミニ新幹線とはいえど、輸送力は在来線特急の比ではない。新庄までに弁当も食べ終えて乗り換え。

キハ100系2両編成の陸羽西線普通酒田行は適当な席がなく中間運転台で写真を撮る。雨は上がっており雪雲の間から日がさしている。そのうち1人掛け席が空いたので移動。平野部に出ると、大きな風車が車窓に現れた。風力発電の施設らしい。余目ではキハ47と40混成の新津行が待っている。昔乗った秋田発新津行のスジかも知れない。
巨大風車
山形県立川町の風車。巨大な羽は見るものを圧倒する。
酒田へ到着。ここで30分待ち合わせとなる。駅前に出るがバスターミナルは少し先のダイエーのところにあるらしい。ひょっとしてと急行バスも期待しているので荷物を持って行くが、目立つ案内はみんな山形自動車道経由の高速バスばかりで、一番北まで行くのでも吹浦・女鹿までだ。あきらめて駅に戻る途中で、北国独特の「制服の下にジャージ」の女子高生を見かけた。異様としか言い様がないが、彼女たちにしてみれば、見栄えより寒さ対策なのだろう。

駅に戻って秋田行の普通電車で旅を続ける。鳥海山は山頂付近がすっぽり雲に覆われている。羽後本荘あたりまでは起きていようと思ったがどうにも眠いし、外も暗くなってきたので寝てしまう。秋田到着放送でやっと目を覚ました次第。

橋上駅化されていた秋田のコンコースは個性がなく、長野そっくりだという印象。改札口近くの案内所で今日のホテルの場所を聞いてすぐにチェックイン。7時までに入ると1000円割引ということでシングル5000円となった。あとでホテルの案内を見るとバスなしの部屋もあるらしい。大浴場がないのに今時珍しいことだ。

疲れた上に太ももが寒いが、民間移管が進んでいるという噂の秋田市バスだけはなんとか足を記しておきたい。駅前に戻って、さっき地図で見た「県庁・市役所前」を通る市バスを待つが、目の前で1台行ってしまった直後からバスが来なくなった。寒い中たっぷり15分は待ってやっときたバスに乗る。途中の交通公社前までがアーケードの商店街でスポーツ店の看板も見える。ところがその先は急にさびしくなり、NHK前で下車した。

すぐ先が県庁のようなので歩いてみた。しかし人影はまったくない。日も暮れてさすがに寒くなってきた。折り返しは秋田中央交通にしたかったのだが、その便は10分ほど前に出た後で当分の間バスがない。市バスも、バス停にたどり着く前に2本行ったがそのあとが来ない。本当に震える思いでやっと右折してきたバスに乗車した。食事の前に防寒具を探すべく、うろうろしてやっとスキー用のハーフパンツがあったので購入。駅前に戻って郷土料理の店できりたんぽ定食。鍋はあたたまってよい。比内鶏の焼き鳥を追加するが、ムネ肉の割にジューシーで本物の地鶏のようだ。

近くのコンビニで細々と買い物をしてホテルに戻る。内線電話回線でインターネットにでれるというので悪戦苦闘する。なんとか繋がったので道すがら寄れそうな温泉を検索すると北上線湯田の近くの湯本温泉が見つかった(どちらも山口に同名の温泉がある)。

■3日目 曇り一時雪

なんとか6時間きっちり眠れて6時に目が覚める。7時の携帯電話の目覚ましで起床。駅前に立ってみると風はないがやはり冷たい。足が冷えないのは大助かりだ。ただし、ファスナーがサイドにあるのでトイレに行く時だけは大仕事だ。

昨日時刻表をくっていると、今日予定しているコースでは奥羽本線の新庄−横手間が未乗のまま残ることに気付いていたが、米沢からのコースを米沢−新庄−大曲−秋田−酒田−新庄−横手−北上とするのは時間的ロスが大きく、陸羽西線の接続と新庄からの奥羽線の接続、それ以前に秋田から南下する羽越本線に適当な列車がなくて都合が悪い。そのため予定通りのコースとした次第。

後三年駅
11世紀の古戦場も今は雪に覆われて静かに春を待っている。

普通電車は立ち客はいないものの、座席がさらりと埋まっている。休日の朝にしては乗りはよさそうだ。大曲で後続の「こまち」に追い付かれて、向こうとは逆方向に出発。乗った列車は前に大曲で乗り換えたのと同じ院内行で、横手からの北上線列車は快速ではなくなったが往時のスジの北上行だ。

横手に到着した。前回は見に行く余裕もなかった横手のバスターミナルは駅前のショッピングセンター1階にある。酒田のバスセンターは空振りだったが、こちらは山越えで羽後本荘に向かう急行バスを発見。本庄から秋田へも急行バスがあるはずで、いつか試してみたいルートだ。駅に戻るとまだ20分ほど時間がある。駅の喫茶コーナーで焼きそばをやっているらしいので、朝食代わりにしておく。味の方はまずまずであったが、のぼりまで立ててある「横手名物」の意味は不明。

ホームにはキハ100系単行がすでに入っている。車内に入ると大船渡線にも使われる車両のようだ。先頭に保線係員が乗車しているのは雪対策らしい。前回はほっとゆだのみ停車の快速だったが快速はなくなって現在は全便各駅停車になっている。平石を出て問題の区間にさしかかるが、明るいせいもあってあまり前のような鬱蒼とした雰囲気ではない。それでも積雪は1m以上はあるだろう。ほっとゆだで下車する。

窓口であとの列車から乗り換える新幹線の指定席特急券を購入。外に出てみるがとても歩けるような状態ではない。湯本温泉へ行くようなバスも止っているが人影はなし。駅前でバスタオルが手に入ればと思ったが無駄足のようなのでタクシーで運んでもらう。

運転手氏によれば、北上線の西半分(黒沢付近)は豪雪で、東半分(北上付近)は暴風でよく列車が止るらしい。もともとこの湯田町も昭和49(だったかな)年には豪雪に見舞われ、2週間近く閉じ込められたらしいが、今は除雪が頻繁に行われるのでめったに国道が通行止になることはなくなったらしい。

一回りしてバス停の所在を聞くと、すぐに駅行のバスがあるらしいので急ぐ。小さな待合室にはおばあさんが1人いてやれやれ。エルガのワンステップ中型バスに拾われた。駅に戻って駅舎内温泉に飛び込む。駅舎内の温泉といえば長野県の上諏訪駅が有名だが、こちらは駅舎を立て直しした時に温泉もオープンしたらしい。源泉の温度が60度ということでかなり熱い温泉だ。時間が気になり外に出ると発車3分前。浴室内にある列車の接近を知らせる信号が点灯しないのは遺憾だが、頭を乾かさないで外に出ても風邪をひかないのは沸かしでない温泉のおかげである。

あわてて2両編成の北上行に乗り込んだ。車内にはおなじく湯田から乗車したらしいおばさん。「がっこ」の文字が見えたのだが話を聞いてみると予想通り大根とのこと(本来「がっこ」とは秋田の方言らしいが)。寒干しした大根を漬物にしたそうで、ご飯によくあいそうだ。

北上では改札口が目の前にあるので乗降駅増殖を目指すがキップがなかなかみつからない。慌てて外に出たものの弁当屋は見当たらず、すぐに新幹線ホームへ急ぐ。地下道を小走りに駆けてなんとか間に合った。Max の2本連結編成なので、間違った編成に乗ると一ノ関まで立たなければならないのだ。運よく乗った目の前に車内販売コーナーがあり弁当にありつき、東京へ向かった。

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