2001年8月


称名滝は黒部立山アルペンルートからはコース的に外れるが、1本の流れとしてはかなり落差の大きな滝である。滝というのは近づきすぎてもアングル的に面白くないので、素人カメラマンとしては扱いにくい素材かも知れない。
称名滝

■1日目 くもり時々晴れ

前夜思いつきで(まあ、思いつきはいつものことではあるが)決めた強行軍日程を頭に入れて出発。西大寺8:15とやらの特急に乗らないとすべてがパアである。とはいえ、長い旅行なので自転車を駅の駐輪場に置きっぱなしにできない。朝ごはんを簡単なものですませて最寄り駅へ歩く。と、駅につく直前に西大寺行普通が出てしまった。やな予感とはよく当たるものだ。あきらめてホームに上がると、それほど待たずとも次の普通電車がやってきた。西大寺に着くと8時すぎ。ところが、特急の時間を確認すると8時4分とかになっている。慌てて特急券を買うとすぐに電車が入ってきた。

西大寺で降りるとだいたい予想していた時間だ。JRの自動券売機で富山までの自由席特急券を買う。窓口でキップを買っている人の会話で「指定席が満席」というのが聞こえたが、さてどうなるか。

京都駅1番線で待つと、次から次へ新快速が入ってくる。新快速3本を見送ったところでいよいよ特急「サンダーバード7号」が入ってきた。が、なんともうデッキに立っている人がいる。あきらめて福井まで立つという人が10人くらいいるようだ。しかも運が悪いことに堅田をすぎてから先行電車がつかえているらしくて近江舞子まで徐行運転。おまけにこの電車は敦賀でも止まらないので、なおのこと立つ時間が長い。1時間半はたっぷり立たされて福井でやっと座れた。進行方向左側なので例の京福電鉄の駅は見えない。

速達型特急なのでこのあとは金沢・高岡だけに止まる。金沢到着前に貫通路閉鎖放送が流れて、金沢で和倉温泉行前3両を切り離す。高岡は相変わらず貨車でいっぱいだった。富山には約3分遅れで到着。

富山地鉄の駅へ向かう。特急立山行は予想通り指定席連結だ。始発駅なので指定席なぞ取らなくても大丈夫だと思うが、地方私鉄にエールを送っておく意味もあって指定料金を払っておく。

特急電車は2両編成で前寄りが指定席だ。発車直前におばあさんがフラフラ乗り込んで来たのでおかしいなと思ったら案の定誤乗だったらしい。寺田で本線から分岐して立山線へ。岩峅寺からは初乗り区間になる。最後かなり急な坂を上って立山へ到着。すぐにケーブルが出るらしいので乗り場に移動する。一旦発券所でキップの確認を受けるが、私は富山で扇沢までのキップを買ったので楽ちんである。ケーブルはかなりの斜度で、しかも終点に近づくほど斜度がきつくなる。駅に着くと恐る恐るカーゴを出て階段を上がった。

弥陀ヶ原
車内から撮影しているので限界があります。次回以降に実際に歩いてみたいもの。弥陀ヶ原にて。

美女平からは高原バスで約1時間。待ち時間の間に売店を冷やかす。列の先頭に並べたので運転手後部の席へ。最後にガイドさんが乗り込んだので隣に座るのかと思ったら補助椅子を出していた。車は日野のハイブリッド車で、知床と同様環境対策ということらしい。称名滝や弥陀ヶ原の景色を堪能した後はトロリーバスだ。今時のトロリーバスはスケルトン車体に交流モータらしい。前を見ると車庫の中に休んでいる車があるだけでトンネル内の行き止まり風。どこに出るのかと思ったら急カーブを曲がってからトンネルをひた走る。途中に交換所があり、セクションを減速して通過。ブレーキは電気とエアと併用らしい。

次はケーブルカー。ワンスパンということで途中に支柱がない。というか建てられないのだろう。急斜面をかなりのスピードで一気に下る。ここでもう一度ケーブルカーに乗り換えるが、このケーブルは全線トンネル内を走行する。ケーブル下の駅もトンネル内にあるのでかなり冷たい。トンネルを出ると黒部第四ダム。水しぶきが虹になってきれいである。

ちょうどその先のトロリーバスが出てしまう所だったので諦めて、レストハウスで休憩。山菜たきこみご飯があるらしいので、あまり期待せずに頼む。予想通り出し汁をつかっていないご飯だが、そばも少しついておりサービス精神を評価しておこう。

一息ついたところでトンネルに入って最後のトロリーバスへ。ここまでは余裕がなくノンストップだったがあと1時間で次の扇沢まで行けばよいのだ。バス乗り場はかなり混雑しているがバスは3台出るということで、最後のバスになんとか座ることができた。こちらのバスも交流モーター車だ。交換所なんかの構造もそっくりである。意外なことに扇沢の駅は地上である。ななかまどらしい木があるが、紅葉はもっと先の話だ。売店をひやかして時間潰し。バスの車内で乗車時にキップを販売するのはどこかでも見たような気がするが忘れてしまった。松本電鉄バスだったか?

バスは大町温泉・大町駅を経由するが、大町駅付近は人影も少ない。そのうち暗くなってきたので車窓を見るのをあきらめているととたんに眠くなった。中条の「道の駅」に寄って有料トンネルを抜け、バイパスを快走。途中から分岐して安茂里駅そばを通過して長野駅へ到着した。

駅近くのホテルにチェックインをすませてお散歩。ふらふらと歩くと9月に閉店というコンビニに出くわした。コンビニの経営が厳しいというのは本当に不景気の証拠なんだろう。

■ 2日目 晴れ 午後から曇り

今日は早起きだ。といっても6時50分だが。ホテルをチェックアウトして7時50分すぎの長野電鉄を目指す。改札に入ると何型というのか知らないがクロスシートの電車が普通湯田中行として客を待っていた。折り返しは特急になることが容易に想像できる。通学の高校生が乗るものの、満員というほどの乗りではない。須坂や信州中野で高校生を降ろして湯田中到着。スイッチバックというが、実際にはホーム長が足りないための苦肉の策のようだ。駅前には白根行の長野電鉄バスがいるがこれはまた次の機会。折り返しの電車のキップを買って改札に入ると「須坂?木島?」と駅員氏が聞いてくる。信州中野からはこの列車、特急料金が必要なのだ。

その中野で乗り換えると、どうやら長野方で信号機故障があったらしく少しダイヤが乱れているらしい。こちらは影響を受けずにワンマンの木島行が発車。のどかな平野部を走る。木島駅はさびれていた。近くのスーパーも閉店したようだ。タクシーはいるが予定通り飯山駅行の信州バスを待つ。

木島駅
長野電鉄の信州中野−木島間は2002年3月末での廃止が決まっている。木島駅にて。

この信州バスも長野電鉄バスから赤字対策で切り離されたとか。先に野沢温泉行バスが発車していった。こちらは野沢発の飯山駅前行に乗る。千曲川を渡って商店街をちらとみるが無散水消雪装置の設置とかで工事中だ。バスは一旦駅を通り越して病院に寄り、車内のお年寄りがみんな降りてしまいビックリして運転手さんに行先を確認する始末。駅前で降りたのは私一人だった。

飯山駅はみどりの窓口があるので、越後湯沢経由新潟までのキップと、新潟から辛うじてつながっている仙台行高速バスの予約を試みる。が、なんと高速バスは満席らしい。しばし思案ののち、大宮経由仙台までの乗車券と、長野からの大宮までの自由席特急券を買う。これでも高速バス経由よりは1時間近く仙台に早く着くのだから新幹線というのは本当に魔法の杖である。ただし、コストは比較にならない。飯山線はキハ111系の2両編成だ。クロスシートには適当な席がないのでロングシートに座って居眠り。

長野につくとすぐに新幹線ホームへ向かう。待つほどもなく「あさま」が出るようだ。各駅停車らしいが仕方ないだろう。大宮に止まるだけましだ。自由席は結構混んでいて、C席をなんとか確保。大宮までそのまま過ごす。小諸や軽井沢からは立ち客も出るくらいの混雑だ。大宮で降りるとすぐにやまびこが接続になる。長野新幹線の電車内で検討した結果、どうしてもこのやまびこは外せない。

現金を補充したいのだが、一旦改札を出てキップを買いなおしていると危ないことこの上なし。あきらめてそのまま東北新幹線下りホームへ上がった。結果的に見れば駅前の銀行に走るだけの時間はあったと思うが…。ホームでは長野行が入って来たあと、やまびこ・こまちが通過。110キロくらいのスピードだったと思う。その後にめざす16両編成のやまびこが入って来た。予想通り自由席はよくすいていて、一部の発売の早い指定席だけが混雑していて気の毒なようである。宇都宮あたりまでは覚えていたが、空いているのでリクライニングを目一杯倒して寝ていると気付けば仙台だった。福島に停車したはずだがまったく記憶にない。今日は仙台のホテルを予約したが、ここでは降りずに次の古川まで行く。キップは車内で精算済みだ。

古川を降りると下校の高校生の渦。15分しか時間がないので急いで駅前の銀行へ寄る。戻ってきて青春18キップに入鋏を受けるが、午後のこんな時間に使い始めるのは珍しい。計算ではなんとかモトは取れるはずである。

古川始発の小牛田行普通は3両なのにもう満員である。たった3駅なのだが途中で快速と交換。小牛田からは石巻線女川行がすぐに接続する。どこかにありそうだと思っていたキハ48のワンマン・側面自動方向幕取り付け改造車の3両だ。涌谷でも高校生が乗ってくる。生徒指導の先生が駅頭で悪さしていないか検査しているらしい。前谷地につくと反対側から「女川」と書かれたディーゼルカーが入ってきた。時刻表で見ると女川発で前谷地止のディーゼルカーで、折り返しこの列車の後の女川行になるようだ。この先石巻でも女子高生を乗せて下校列車の様相。反対側には液化塩素という超有毒物質を積んだ貨物列車が止まっている。

女川の1つ手前の駅で発車に時間がかかった(高校生の不正乗車でもつかまえたのだろうか)ので、女川の折り返しはせわしない。怪しいと思って早目に列車に戻ったら案の定すぐに発車した。石巻まで戻るが結構時間がかかる。離れ業のような乗り継ぎでびっくりしているが、石巻からもすぐにあおば通行の快速が接続している。何とか景色が見えないかと思ったが、高城町の手前あたりで完全に闇になってしまった。木島から電話で予約したホテルは新幹線口の方なのであおば通まで乗りとおしたが、地下街の出口を間違えて遠回りしてしまった。19時ごろにチェックイン。疲れているが食事に出ようとホテル地下街に行くが、すっと入ってしまえる店がないので駅の方へ。弁当売り場を覗くと仙台名物の牛タンを塩焼き・みそ焼した弁当があり購入。

■3日目 雨のち曇り

起きると外は雨だ。それでも予定通り早くに目を覚ましたので6時半くらいにチェックアウトする。小雨なので駅へそのまま急ぎ、この旅2回目の18キップ。白石始発の普通電車がちょうど到着したところだ。701系8両の立派な編成だが、後ろ6両は小牛田で切り離しになるらしい。1両目再後尾のロングシートに座る。小牛田までは続々と高校生が乗り込んで小牛田で入れ替わる。時間が早いからか背広姿は少なく、昨日に続いて高校生でごった返している。地方交通のお得意さんは、8時前後の通学生と9時前後のお年寄りと相場が決まっている。以後は徐々に乗客数は減って行き、一ノ関手前でガラガラになった。電車はここで終点である。駅前にでて今日の宿を予約する。

一ノ関からは盛岡仕様の701系2両編成だ。北上で新幹線に接続したあと、花巻で降りる。改札を出ると洋風の軽食スタンドがあり、パスタもできるらしい。珍しいのでコーヒーとともに注文して朝食代わりにする。釜石線ディーゼルカーは折り返しとなるキハ101系2両編成。雨で煙る中を遠野へ到着。数は少ないが観光客風の人もいる。上有住をでてトンネルを出ると、雲の中に入ってしまったようだ。陸中大橋のセミループを過ぎて坂を下れば釜石の市街に入る。

前回は駅を降りなかったが、今回は途中下車。駅近くのショッピングセンターに入るが弁当屋さんはない。ショッピングセンターを歩くと、五條バスセンターそばのサティのようなこじんまりした雰囲気。駅前に戻るとそば屋さんがえらく繁盛しているが、駅弁が手に入らないのは困ったものだ。ディーゼルカーに戻り、進行方向が変わるので海側に席をGetした。構内では三陸鉄道のディーゼルカーが車止めに乗り上げる寸前の所に止まって連結作業をしている。

どういうわけかワンマン化されていない山田線を北上し、岩手船越で交換列車を待つ間に駅前の雑貨屋さんへ。焼おにぎりを仕入れてきた。「はらこ」の塊を売っているのはさすが三陸である。宮古駅1番線に到着、慌ただしく山田線上りホームへ移動する。岩泉線直通の列車はキハ52単行である。どうも窓が大きいような気がしていたが、よく見ると中の桟が取り払われて1段上昇窓に改造されていた。分岐駅の茂市は山の中の寂しい駅だが、なぜか30分以上停車して盛岡からの下り列車を待つ。だったら宮古の発車時間を遅らせてくれればありがたいのだが。

盛岡からの快速「リアス」はキハ52とキハ58のこれも強力編成だ。岩泉線に入ったディーゼルカーは川に沿って走るが北上しているような感じ。途中の岩手和井内は折り返し列車もある駅だが交換設備は撤去されているよう。次の押角は山中の人家がほとんど見当たらない駅で、この先のトンネルが分水嶺だ。

岩泉駅
信号のない終着駅。岩泉駅にて。

岩泉に到着。出発信号機はないから、線内完全1閉塞のようだ(あとで調べたら票券閉塞らしい)。ちょうど回送表示のJRバスがやってきた。方向幕は大牛内に変わったので別方向に行くのかと思い運転手さんに聞くとこのバスが小本へ行くらしい。岩泉営業所で高校生を大量に乗せてにぎやかになる。バスは国道を外れて龍泉洞へ。一人旅らしい女性がここで降りた。竜泉洞を見た後はバスがないので歩いて国道まで戻るらしい。道路標識によればここまま進むと久慈に出るとのこと。昔の時刻表をひもといてみれば、確かに国鉄バスの路線があったようだ。

国道に戻って浜手方向へ進む。川に沿ってゆるやかな下り坂。どうみても茂市−岩泉よりは岩泉−小本の方が建設が楽だったのではないかと思う。その茂市−岩泉間の方が山が険しく、代替道路の整備が充分でないという理由で廃止を免れたのだがら面白いものだ。築堤が見えて三陸鉄道の小本駅へ。ここで時間調整らしい。ということは、三陸鉄道の宮古行に乗れたということだ。全然気付かなかった。私はその列車に乗れないものとしてスケジュールを立てたのだが…。駅前を眺めていると運転手さんがどこまで乗るの?と聞いてくる。予約した民宿の名前をだすと、乗り合わせたおばあさんとともに知恵を出してどこが近いか相談してくれた。車は三陸線を受けて旧道に入る。狭い道だが県北バスとすれ違った。川を渡ったところが小本のバス停で、ここで降りればいいとのこと。あとで地図を見ると大牛内は小本の駅から見ればこのバス停とは逆方向なので、どこかで転回して戻ったようだ。もともと大牛内から久慈方面へ国鉄バスの路線が繋がっていたはずなのである。

教えてもらった方向に歩くと確かに農協があってその先に屋号をかかげた看板が見えたが、民宿は新館とのことで、新しくてきれいな建物へ到着。今日は私一人らしい。宿のおばさんは子供の相手もあるので大変そうだ。

■4日目 雨のち曇り

パラパラと音がするのは雨のせいらしい。車の音で目が覚めると雨は小ぶりになっていて、時間はちょうど7時すぎだった。朝食を用意してもらっている時に「9時の列車で出る」と言うと、期待通り送ってもらえることになった。おかみさんの車で駅について、観光センターの一角でキップを買う。ところが、観光センターに貼ってあるバスの時刻表を見てびっくり。岩泉線を訪れる上でネックになっていた「土・休日運休」のバスが、毎日運転に変更になったらしい。これならこんなに苦労することはなかったのに…。

三陸鉄道のディーゼルカーは予想通り単行だが、そこそこの乗車率だ。とはいえもう学生は1人もいず、病院通いのご老人ばかりだが。宮古ではすぐに接続の山田線快速へ乗り換えになる。接続時間が少ないときだけ開かれるらしい関門を通るとJRの職員もいるので「キップは中で買います」と言ったら「そうしてください」とのこと。でも乗り継いだのは5人といなかったようだ。

快速リアスはかつて急行であったらしい。編成はダブルエンジンのキハ58が2両も繋がっている。北海道の路線でキハ56を2両繋いだ列車があるのは知っていたが珍しいと思う。もとより冷房装置はついていない。昨日同様小雨の中を茂市へ。ここからさらに坂がきつくなり、25パーミルが連続する急勾配を上る。運転本数が少ないが、交換駅には駅員配置となっているのを見るとCTC化されていないようだ。かつては急行が何本も運転されていた路線なのだが…。区界でサミットを越えて盛岡市に入るがここからまだ20km近くある。わずかずつではあるが乗客数を増やして(なぜか車内のトイレが大人気だった)、乗車率50%程度になって盛岡駅へ到着。寄り道せずにこのままやまびこで東京へ向かう。駅前はなぜか中学生の団体が多い。宮古で買いそびれた海女弁当を購入できて嬉しい。

自由席特急券と乗車券を大宮まで購入する。新幹線はすでにかなりの席が埋まっていてC席をなんとか確保。発車直前にB席も含めてほとんどすべての座席が埋まった。仙台・郡山・大宮と停車する。宮古で買う時間がなかった海女弁当をめでたく購入。このうに・いくらのためだけに三陸にはまた来たいと思う。

郡山で降りれば数少ない水郡線水戸行に繋がっているが、今日はそのまま東京方面へ。秋葉原に寄り道してから東海道線に揺られて川崎へ。明日の朝が早いのでとっととホテルにチェックインしてしまう。

■5日目 晴れ

目覚ましでなんとか起きたのは午前5時半。外は晴れているようだ。顔をあらって6時過ぎにチェックアウト。ちょうど領収書をプリントアウトしているところだった。だるいがJR駅まで地下街を歩いて進む。予想通り他のエスカレーターは止っているが駅正面のエスカレーターはもう動いていた。残念ながら予定していた静岡行電車よりも1本遅い熱海行だが、この電車も熱海から沼津方面への接続がある。静岡行きは2本あるが、どちらかは多分ムーンライトの折り返しだと思われる。

熱海行は113系11両。それはいいのだが、運の悪いことに、横須賀・総武快速流れのロングシート車だった。カバンを抱いて爆睡することになる。熱海からは混雑の心配をしていた浜松行だが7両編成。しかし喜ぶのはまだはやい。後ろ4両切り離しということで、私の乗った電車はどうみても113系の東京方面の付属編成だ。沼津切り離しだと目も当てられないが静岡切り離しだった。

切り離しを警戒して早目に前に移動を開始してなんとか静岡で座ることができた。ジュース1本買う暇もないのは少々辛い。かなりの混雑のまま浜松到着。ここで普通岐阜行に乗り換えだがこれも3両で座れない。豊橋まで30分ほどなので立って我慢する。後から興津発の普通が追い付いて来るけれど、そのころには窓際に立てる場所などなかったので、あとの電車にしなくてよかった。

豊橋ではみんなダッシュして新快速へ乗り継ぐが先頭グループだった私でも窓側の席にはありつけず。名古屋で乗客が入れ替わるかと思った案外そうでもなく、平均乗車距離が長そうだ。大垣でもまたまたダッシュする。ここは心配していた通り2両編成だったので超満員もいいところ。私は逆方向ながら窓側席が当たった。夏休み期間くらい増結してもらいたいものだ。米原でも列ができるが、こちらは8両編成なので安心。やっと帰ってきた気分になった。